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守屋啓吾の歴史@

歯科医師になるきっかけ〜祖父のこと〜

歯科医師になるきっかけ

開業医をしているとよく家が歯医者かどうか聞かれる。
うちのお祖父さんは歯医者なのだが親父はサラリーマンだった。
お祖父さんはとても優しい人で怒った顔を見たことがほとんどない。
ぼくが怒られた記憶といえば、そのつるつるにそり上げた頭を肩車されたぼくがポンポン叩いた時のことぐらいだ。

そのお祖父さん仕事場が家の離れにあり僕の遊び場でもあった。
当時は歯医者が自分で金冠とか作っていたのでそこには技工の設備もあり、
子どもにとってはわくわくするものであふれていた。

ぼくはそんなものを見て育ったからかどうかは知らないが、物を作ったり絵を描いたりすることが大好きな少年だった。


近所の悪がきも今では患者さんに〜幼少期〜

親父の転勤で幼稚園の時に広島にアパート暮らしとなった。
ちょうど同年代の少年が3人いたので遊ぶ相手には事欠かず、隣の空き地で「基地」を作ったり、ザリガニ捕りや昆虫採集が楽しかった記憶がある。
小学校2年生で岡山に戻ってきたのだが、言葉も違うし制服も違うので近所の悪がきによくいじめられた。
その悪がきも今では患者さんで通ってくれている
絵と習字を習い「科学と学習」の付録に夢中になり、プラモデルを作り近所の野山でよく遊んだ。


中学時代

親父は忙しい人で、あまり普段あまり一緒に遊んだ記憶がない。
その代わり、時々キャンプに連れて行ってくれた。
それが楽しくてアウトドアが好きになっていった。中学の時はキャンプしたいためにボーイスカウト部に入った。 ロープの結紮法とか手旗信号とかが面白く、キャンプでテントを張ったり料理を作ったりするのは当然大好きだった。
中学の時に石橋先生という国語の先生と出会う。
この人がとても怖い先生でとんでもない量の課題を生徒に課す。 予習ノートと読書感想文が特にヘビーで、読書感想文は「毎月5冊」だった。
そのおかげで本を読むこと文章を書くことは苦ではなくなった。今ではとても感謝している。


漠然と歯医者を目指す〜高校時代〜

当時高校入試は総合選抜で私立高校というのも当時はなかったので、みな当然のように県立の普通科に行くことになる。 ぼくは倉敷南高校という出来たばかりの高校に行くことになった。
ぼくらが2期生で上には1学年しか先輩はいなかった。 家から高校までは6kmぐらい、毎朝自転車で飛ばした。
好きな科目は物理と古文で特に物理が好きだった。 「物理学者」になることも考えたがそれほど剃刀のように切れる頭でもなかったので、もしなっていても大成はしていないだろう。
当時ある程度勉強のできる子は医学部歯学部に進学を指導されていたように思う。
ただ自分としては医者になることも考えたが性格的に向いてないかもと思った。
手先は器用なので歯医者にはいいかもしれないと漠然とは思っていた。



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